自動化へのきざはし
ひと月のうちに2回もモデルが変るという試行錯誤の連続
坂口 和門 |
自動給餌機が出来た頃は、その契機となったのは社内での開発というより、専務がアメリカに視察に行って、それで導入したケースということでしたね。 |
中島 英雄 |
あの機械はアメリカにも少なかったので実際に動いているものは一台も見ることができなかった。団体見学が終ったあとアメリカ各地を一人で歩いて資料あさりをして、最後に農務省のベルツビル研究所の日本人二世のオオタ氏の所で関連資料をまとめることができこれがもととなっていますね。 |
甲田 和久 |
最初のスクリューコンベヤーの写真があるけれども、元タンクが四角になってみたり、丸くなってみたり…、ともかくひと月のうちに2回もモデルがかわるという試行錯誤の連続であった。そんなところからスタートしている。 |
山岸 明 |
私が最初に手がけたのが、昭和37、8年頃の飼料タンク。それを山梨の経済連へ納入したり…、それが飼料タンクの始まりで、次にスクリューコンベヤーが始まる。 |
甲田 和久 |
当時のパンフィーダーの販売というのは、セールスマンが顧客と契約すると、取り付けは全てそのセールスマンが行なう訳です。売っては取り付け、苦労しましたね。パンフィーダーに限らず、取り付け工事の伴う製品には。どうにも取り付けが間に合わない時は、会社の近辺の農家の人におねがいして、ライトバンにフトンをつんで、食事代を会社から貰い、お客さんの家に泊まりながら取り付けていったんです。 |
司会・大久保 孝一 |
こうして今までのお話を聞いていますと、まず草創期は、キングヒーターであった。そして第2期は、ケージの時代で、現在は第3期でブロイラーの時代に入り、開発を図り自動化を推進させてきた。 |
中嶋 君忠 |
そのキングヒーターより以前がまだある訳ですが、昭和27年頃、自宅で操業していた頃ですが、キング飲水器、キング給餌器、そして脚帯、翼帯、ウィングマーク、トラップネストなどを製造していた訳です。 |
司会・大久保 孝一 |
温故知新といいますか、そこを教訓にしなければいけないのですね。 |